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政宗の逸話

伊達政宗に関する逸話をご紹介いたします。

急がば回れ?慶長遣欧使節団―その4
急がば回れ?慶長遣欧使節団―その3
急がば回れ?慶長遣欧使節団―その2
急がば回れ?慶長遣欧使節団―その1
伊達者(だてもの)の由来
政宗版「ひょうたんから駒が出た」
政宗と小猿
右目も美味?
政宗の木像
スマートな話術
刀が実は・・・
政宗の日常生活

急がば回れ?慶長遣欧使節団―その4

メキシコ経由でスペインに辿り着くだけではなく、遠くバチカンまで足を伸ばした慶長遣欧使節団。
 
その背景には、慶長遣欧使節団で正使を務めたフランシスコ正教会ルイス・ソテロ宣教師の存在があげられます。
 
政宗公が支配する奥州内でのキリスト教流布の為に、宣教師の派遣を依頼しにバチカンでローマ法王と謁見したものの、道中で国内ではキリスト教禁止令が敷かれたため、帰国時にはソテロ自身が刑に処されました。
 
隠れキリシタンというと長崎が有名ですが、実は岩手県や宮城県にもその史跡が残されているのは当時の名残ではないでしょうか?

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急がば回れ?慶長遣欧使節団―その3

御宿沖では56名の命が失われたものの、317名の方が救出されました。
 
これは当時の御宿村民の数を上回ると伝えられています。
 
江戸の徳川家康は、救われた317名のスペイン人、メキシコ人一行と謁見し、船を新たに建てて、翌年には日本人商人を乗せて無事帰国しました。
 
感謝したスペインは特使を派遣するものの、当時通商のあったオランダがよくない噂を家康に吹聴したため、関係構築に至らず、そこに救いの手を差し伸べたのが伊達政宗公だったという次第です。
 
慶長遣欧使節団がメキシコ経由でスペインに辿り着いたのもそんな背景があったからなのです。

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急がば回れ?慶長遣欧使節団―その2

わざわざメキシコ経由で遠回りをしてエスパーニャ帝国、バチカンに辿り着いた慶長遣欧使節団。
 
その理由を紐解くには少し時代を巻き戻す必要があります。
 
当時スペインはメキシコ、フィリピンを植民地にしておりました。
 
ある時、フィリピンを出航した船が台風に遭い、南房総の御宿沖で遭難しました。

当時はキリシタン禁止令で異国人との接触も許されていなかったにも関わらず、御宿の村人は親身になって遭難者を救ったといわれます。

これがきっかけとなり、メキシコ、スペイン双方から感謝をされ、日本はスペインに植民地化されることもなかったのです。
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急がば回れ?慶長遣欧使節団―その1

2013年で400周年を迎えた慶長遣欧使節団。
 
1613年(慶長18年)に、伊達政宗公が外国との通商交渉に向けて、家臣の支倉常長をエスパーニャ帝国(スペイン)とバチカン(ローマ)に送ったのが始まりです。
 
彼らは想像を絶する航路を駆け抜けて、エスパーニャ帝国、バチカンに向かいました。

まず太平洋を横断してメキシコに寄港。その後キューバに立ち寄り、大西洋に渡ってエスパーニャ帝国に辿り着いたのです。
航空会社のマイルで例えると、片道13770マイル、往復で27540マイル。因みに直行便を使えば6971マイル程度です。

江戸時代にマイレージサービスがあれば、支倉常長はかなり獲得できたに違いありません。
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伊達者(だてもの)の由来

「伊達者(だてもの)」の元祖となった伊達政宗公。

 

朝鮮出兵時に家来に誂えさせた戦装束が、華美で道中噂になり「伊達者」の言葉が誕生しました。

 

派手好みの秀吉が気に入るように家来に着せることで本陣に近い配置を狙い、損害を受け易い最前線の配置を避けました。

 

現在は好んで派手な装いをする人を指す言葉になりました。

 

周りに伊達者な人、いませんか?

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政宗版「ひょうたんから駒が出た」

香合わせの席で他の大名は鞍の泥除けや弓矢を景品に出したが、政宗は腰のひょうたんを景品として出しました。
 
誰もひょうたんを手にするものはいなかったが、香合わせを開催した主人の家来が手にしたことで無事香合わせが終わりました。
 
政宗は帰り際に「ひょうたんから駒が出た」といって、その家来に政宗が乗ってきた馬を馬具つきで与えたとのこと。
 

ひょうたんを馬鹿にしていた者も、この振る舞いに心底うらやましがったそうです。
残りものには福があるとは、まさにこのことですね。
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政宗と小猿

豊臣秀吉は、飼っていた小猿が謁見する家臣によくちょっかいを出す様子をとても喜んで見ていました。

 

そこで政宗は誰もいないときにこっそり猿に会って何回も睨んだそうです。

 

秀吉謁見の際に、政宗が小猿を睨むとちょっかいを出さずにあわてて逃げ出しました。

 

その様子を見た秀吉や家臣は独眼竜で睨みをきかすだけで小猿をおびえさせたことに感心し、周囲にその凄みを印象付けることに成功しました。

 

さしずめ今なら優秀なビジネスマンとしても成功したかもしれませんね。

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右目も美味?

徳川家康や豊臣秀吉から右目について問われたとき、

「木から落ちて右目が出たが、とても美味しそうだったので食べてしまった。」と答えました。

 

(政宗は美食家としても有名。右目は実際は幼少時の天然痘の後遺症で失明しました。)

 

伊達政宗は笑いの分かる人でもあったのですね。

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政宗の木像

政宗の死後に作られた木像や絵にはやや右目を小さくして両目が入っています。

 

(片目を病で失うが、親より頂いた片目を失ったのは不幸と考えて両目を入れたそうです。親思いの政宗という違った一面が垣間見えます。)

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スマートな話術

徳川三代目家光が頻繁に鷹狩りで下宿するのに困った家来が政宗に説得を依頼しました。

 

政宗は「下宿をやめなさい。私は以前家康の首を何度か狙ったことがあります。」と言うと、家光はすぐに下宿をやめたといいます。

 

徳川家に信頼されている政宗だから言える一言ですね。

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刀が実は・・・

将軍の前で脇差帯刀を許されていた政宗。

 

側近が酔って居眠りをする政宗の刀を調べると、中身は木刀であったそうだ。

 

いざという時も政宗なら木刀でも立ち向える自信があったのでしょうか?

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政宗の日常生活

政宗の24時間をご紹介します。

 

午前6時 起床

午前7時~9時 閑所、行水、髪結い

午前9時~11時 朝食

午前11時~午後2時 政務・決済

午後2時~午後3時 おやつ・一服

午後3時~午後5時 閑所・行水

午後5時~午後7時 夕食

午後8時 就寝

 

仕事の時間がやけに短いと思ったのは私だけでしょうか?

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